ジャーナリスト神戸金史《半径1mのドキュメンタリー》特別上映会

12月10日、「ジャーナリスト神戸金史《半径1mのドキュメンタリー》特別上映会」を見に行った。

風邪を引いていたのか、頭痛が止まらず、体調が悪い日。残念だけど、途中で退席してしまった。

登壇者の皆さんには悪いことをしたな、と思う。

イベントでは、ジャーナリストとしての話題、神戸くんがディレクターを務めた番組の上映やパネル座談会などを中心に進行。渋谷のLoft9というカフェのような会場だったが、ほぼ満席になっていて盛況だった。おそらく70-80人、もしくは100人近くいたかもしれない。

このイベントの登壇者である神戸くん、松崎さんは、それぞれ大学時代の同級生、先輩に当たる。当日の座談会は、言ってしまえばいつも集まってお酒を飲みながらわいわい喋っている内容と非常に近かった。

普段の雑談が、入場料をいただけるイベントのコンテンツとして成立するいうこと、そして来場者のみなさんが興味深そうに聞いているのがなんとも言えず印象に残った。

イベントとは直接関係ない話となるが、障碍について語るとき、健常者の立場から見るとどうしも

  • 社会的弱者
  • 健常者とは異なる立場の人達
  • ハンディキャップを持つ人達

という目で捉えがちだ。

個人的には違和感があって、「障碍を持っていようが健常者以上に豊かで満ち足りた人はいるし、健常者であっても障碍者以上になんらかの障碍・ハンディキャップを持っている人もいる」ものだと考えている。「障碍」は一種のハンディキャップと考えると、どんな人・どんな家庭にも何かの形でハンディキャップがある。金銭的なトラブルとか、家族間の人間関係とか。

そういうフラットな目線から考えないと、「健常者の立場から見る、別な世界の問題」と捉えてしまう傾向があるのではないか、とか。

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